神仏に愛される人


どのような人が神様に愛されるでしょうか

神社仏閣などにたくさんの寄進をしたり、たくさん参拝するひとでしょうか

たしかにそうした人も神様に好まれるかもしれません

たくさんの寄進をする人は、財産が多ければできるでしょう

何度もお参りに行ったり、たくさんの神社仏閣に参拝されるのは、時間が自由にあるひとであれば出来るでしょう

ですが、本当に神様仏様に愛される人は、わずかな量であっても、その志に込められた、感謝の気持ちや愛の量によるのではないでしょうか

「貧者の一灯」という言葉があります

仏教の話しでは阿闍世(あじやせ)王が釈迦を請じて供養をし、宮殿から祇園精舎への釈迦の帰り道に万灯をともした時、貧乏な一老女も灯明をかかげようと思い、わずかの銭を都合して一灯をともしたところ、王のあげた灯明は消えたり油が尽きたりしたが、老女の灯明は終夜消えなかったという話しがります

キリスト教でもイエス様の言葉として「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」という話が残っています

どちらも貧しく僅かしか供えられなくとも、神様仏様は、その多寡ではなく、人の思いを重視しているということでしょう

それは単に金銭の多寡だけを述べているのではないでしょう

心持において、精神的に貧しい人であっても、そのひとが心を込めて成した行為は、神仏から喜ばれるということを意味していると思います

たとえ誰に褒められずとも、誰にも気づかれずとも、愛の思いで、感謝の思いで成した行為は、神仏の目に留まっているということです

たとえ僅かな光であっても、光を世に灯すことを、神仏は求められているのでしょう

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