違いを認められる社会へ


昨日は、人間関係の不和の原因には、相手の立場を理解できなかったり、自分が正しいと思い込んでいると、正しさの一面だけを捉えて、他の面を理解できずに相手を間違っていると直ぐに判断してしまう人間の傾向性があることを書きました

正しさというのは、一つの面だけではなくて、多様な要素が含まれていることがるのです

「群盲象を評す」の寓話のように、象の鼻を触った人にとっては、象とは大蛇のような長い体を持った生き物と思えます

別な人が象の足を触って、象は丸太のような形をした生き物だというのを、間違いで大蛇のような姿が正しいと、相手を批判するような状況が多くあります

それぞれに真理の一面のみの正しさを理解して、自分が正しくて、他人は間違いだとすぐに勘違いしてしまうことが、社会の対立や不和の原因になっていることが多いです

そうしたものを乗り越えていくためには、価値観の違いや、個性、考え方の違いを認めていかなくてはなりません

たとえば、頭がよくて勉強できる人は、他人の頭の善し悪しでその人を評価しがちですが、知性が発達している人は、感性が鈍っていて、愛情などが希薄になっていく傾向があります

感性が鋭い方ですと、愛情豊かな人も多いですが、知性の高い人を冷たい人間だと判断していくでしょう

社交的で人との交流が得意な人は、内向的な人をネクラでつまらない人物と判断するかもしれませんが、内向的な人は文学などの人の心の機微を捉えた作品を、深く味わえる感覚を持っていることが多いです

内向的な人からすると、ずけずけと積極的に人と交流する人は、ガサツで人の気持ちを深く考えられないと思う人も、自分から積極的に物事に当たっていって、道を切り開いたり、壁を突破する能力に優れていることがあります

そのように、人は自分の性質から他人を見て、理解せずに批判したり、逆にうらやましいと劣等感を持つ人もいるでしょうが、それぞれに長所と短所があって、個性が違うことでお互いに支えあって世の中を動かしているのです

一つの特徴だけを物差しにした社会は、いびつとなり、歯車が狂ってきて壊れてしまいます

知性だけを物差しとする社会では、冷酷な社会となって、文化の発展もなく、ロボットに置き換えられるような人間味の無くなる社会となるでしょう

感性のみの物差しの社会では、物事が決まらずに、社会の進歩も止まり、文明も衰退していって、原始の社会に人は戻っていってしまうでしょう

様々な人がいて、様々な考え方や個性や価値観を持っていることで、それぞれが社会の役に立って、世の中は動いていっています

価値観の違いを認められる社会でこそ、私たちは健全な成長を遂げていけます

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