執着と真実の自己への目覚め


私たちが自分の物と思っていても、何も自分一人で作り出して物はありません
長年働いて、ようやく貯めたお金で建てた家だと思っていても、それは様々なものによって作り出されたものです

建築材料を作る人がいて、それを組み立てる人、ペンキを塗る人や、内装を仕上げる人、家具を組み立てる人など、様々な人の手によって作り出されます

さらに家を建てる土地は、誰かから買った自分の物だと思っていても、それは本来、地球のものであり、人間が勝手に自分の土地と言い出して、売買をしているにすぎません

土地は本来は個人の誰のものでもなく、地球そのものが持っているもので、私たちはそれを借りているにすぎません

家を建てる材料にしても、自ら作り出したものではなく、自然から借りてきたものです

たとえ森から木を切って、掘立小屋のようなものを自分で建てようとも、その木を生み育ててきた自然の力があってこそ、材料が手に入ります

太陽が熱すぎもなく、寒すぎもない温度で地表を照らし、雨が降り、適量の水を供給することで、木々が育っていき、木材のもととなってくれます

ですので、私たちが手にしたり、自分の物だと思って執着するものは、実は本当は自分の物ではなく、あくまで偉大なる存在からお借りして暮らしています

私たちが自分自身と思い込んでいる肉体にしてもそうです

肉体は私たちが作り出しているものではなくて、いただいているものです

私たち自身の力によっては、髪の毛一本すら、白髪を黒くすることも出来ません

己の力以外のものが働いて、肉体を形作っているのです

そして魂そのものも、私たち自身で作ったのではなく、偉大なる存在により創造されました

すべてをいただいているからこそ、自分の物だという執着にとらわれることなく、行き過ぎる欲を減らしていくべきでしょう

与えられてことへの感謝が、真実の自己への目覚めになります

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