事故や病気で障害となる意味
生まれつき何らかの障害をもって、生まれて来る人について書いたことがあります
他の健康な人に、自分たちがどれほど幸せでありがたいことか、いつも当たり前に思っている健康であることを教えるために、一定の割合で、何らかの病気や障害を、先天的に生まれ持ってくる人たちがいます
彼らとは別に、生きている人生の途中で、何らかのアクシデントに見舞われ、身体が不自由になったり、障害をもつこともあります
そうした人が障害を持つことにどのような意味があるか?質問を受けました
まず申し上げるのは、そうした途中で身体が不自由となって生きるのは、一部の人に限ったことではなくて、長生きした人については、避けて取れない問題があります
人は年を重ねるにつけて、あそこが痛い、ここが痛いと、身体のあちこちに、何らかの故障が出てきて、不自由になっていきます
大病を患う人もいますし、その後遺症に悩んでいる人も多いでしょう
また、年を取ってくると、足腰を弱めて、歩くのにも不自由になってくるはずです
そのように、ある程度年を取ると、誰しも身体に不調が出るのは、避けて通りがたいものがあります
なぜそのように、人は年を取ると体のあちこちに不具合が発生して、不自由となっていくかというと、あまり健康でい続けると、あの世へ帰る心の準備が出来ないからという事があると思います
健康で何不自由なく暮らしていると、いつまでも生き続けたい思いがあるでしょう
不自由を経験していくからこそ、古くなった肉体を脱ぎ棄てて、あの世へと帰っていくことを受け入れていきます
そのように、老齢となって身体が不自由となっていくのは、あの世へと未練なく帰っていくための、準備のためにあると言えるでしょう
あまり健康的に生きて、急に亡くなられた場合には、自分の死が受け入れられず、あの世に旅立てずに、この世にとどまってしまうことがあるでしょう
そのように、霊的世界からすれば、スムーズにあの世に帰っていくための準備の期間として意味があります
また、若いうちに病気や事故などで、障害を持たれる方もいます
特に子供のころになられた方というのは、一つはやはり、生まれ持って障害を持たれた方と同じように、人々に感謝を教えるためになられている場合がります
普段は健康に生きることが当たり前に思っている人も、そうした障害を持たれた子供さんを見て、自分たちがいかに恵まれているかを教えてくれる役割があります
次に、子供のうちに障害を持たれるケースとして、家系などに続いている負の遺産を解消するために、自己犠牲として生まれているケースがあるように感じます
たとえばご先祖が周囲からとても恨まれていたり、悪事を働いていたりして、何らかのマイナスのカルマがあった場合に、そうしたことを知っていて、あえて自分が引き受けるような思いで生まれてきたケースもあるようです
子供のころに障害を持たれるケースには、こうしたことがあるように思われます
成人になってから中年のころまでに、障害を持たれるケースには、上記の子供のようなケースもありますが、違った場合もあるようです
ひとつには、その人の思いの傾向性が、ネガティブな方向に進んでいて解消されない場合、大きなアクシデントとして起こることがあります
自分の人生をもう一度しっかり見直すために、そのような障害となって現れることもあるでしょう
そして、もうひとつ言えるのは、過去世などのカルマを、障害を持つことで解消しようとするケースです
たとえば前世において、何らかのトラブルで人を傷つけてしまい、相手が不自由な体となってしまった場合に、申し訳ないという思いを解消するために、今世ではご自身が同じ場所などを障害になるケースです
そのように、幾つかのケースが起こっていると思われます
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