霊的に見る脳死と臓器移植の問題点


昨日は臓器移植後に、性格や記憶まで移行するような現象のあることを取り上げました



そこで質問もいろいろありましたので、さらに掘り下げて書いてみます

現代では医学が進んだ所はありますが、同時に霊的な観点が抜け落ちてしまい、肉体だけがすべてだとする唯物論、あるいは唯脳論が支配的です

なので脳の機能が停止した段階で、もう人の機能は無くなった、ただの肉の塊のように認識しているように思われます

ですが真理の観点からすると、人間は肉体に宿った魂が本質であり、肉体の機能が一部失われても、魂はまだ肉体に宿っているのです

ある男性が脳死判定されて、医学的には死んだとされているのですが、そのご両親が来られると心拍数が上がったり、涙を流したりしたそうです

そのような状況で、まだ意識があるのではないかと感じられるでしょうが、医者からは死んだものとされて説明を受けられたという話があります

脳神経外科医であるエベン・アレクサンダーさんは、脳炎にかかって、脳が炎症で腫れていて、脳は働いていない瀕死の状況を経験しますが、実はその時に臨死体験をされていたと報告し話題となりました

医学的には意識は無いはずの状況なのに、本人は意識がある体験をして、死後の世界を垣間見たと述べています

脳神経外科医であったので、ご自身が臨死体験を経験する以前にも、患者さんが同じように臨死体験を語ることもあったようですが、一笑に付していたようです

そのように自分が経験しなければ分からないという人間がほとんどでしょう

また、脳死判定をされた後に、意識を取り戻したという事例はいくつもあります

もしも脳が停止すればそれで終わりだという考えのもとに臓器移植をしているなら、真理に反していると思います

昨日は臓器移植でドナーの性格や記憶が移るというのは、実は憑依のように、ドナーの霊が移植された臓器とともについていると指摘しました

これは臓器によってそうなるか違いもあるように思われます

よく悲しくなった時など、胸の中央あたりがギューっと締め付けられるように感じますが、魂と肉体のつながりのうちで、胸の中央あたりに強くあります

こころが何処にあるかと聞かれたら、頭をささずに、胸の中央あたりをさすのではないでしょうか

この近くにあるのが心臓で、それ故、心臓の移植では特にドナーの霊も移ってついてくるということが多いように思われます

他の臓器でも起こり得るでしょうが、心臓はとくにそうなる可能性が高いように感じられます

無くなられたドナーの意思によって、そうした憑依せずに、浄化できるかどうかですが、まったく無執着の境地で、肉体はあくまで魂の宿る器であると自覚し、肉体を刻まれる苦痛や恐怖に十分耐えれるなら、可能性ではあるのではないでしょうか

ただそんな人間がはたしてどれだけいるか難しいところです

仏教では捨身飼虎(しゃしんしこ)という話があります

これはお釈迦様の前世の話とされるもので、お釈迦様は前世で餓えた虎の親子に出会い、哀れに思って自らの肉体を投げ出し、その虎の食料として供されたという話です

臓器移植をされるドナーの方も、それだけの覚悟をお持ちであれば、私がどうこう言う立場にはありません

移植の時には麻酔もかけられないでしょうから、生きたまま体を刻まれても動じない心境であれば、憑依せずに浄化されるのではないでしょうか

それだけの覚悟の無い方は、やはり止められたほうが良いように思われます

また臓器移植にはいろいろと問題も含まれており、臓器売買が闇商売となり、中国では死刑囚の臓器を密売したり、法輪功という宗教を信じている人を捕まえて、臓器を取り出して販売するようなことも行われていると聞きます

脳死をまって臓器移植がなされる際にも、先に脳死判定後に意識が戻った話をしましたが、移植したいがために、脳死の判定をゆるくして、回復する可能性のあるケースも潰されてしまう可能性があります

ただ、臓器提供を待ち望んでいる人は、いらっしゃるでしょうから、それを否定することは私にはできません

そうした霊的な事実があることを知っていただき、各自で判断していただけたらと思います

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