アニメの価値を決めるのは誰なのか⁉
どうもアニメーターのヨーヘイです。
今回はアニメーションが本来持つ価値、と一般層からの認識の違いについて触れたいと思います。
まず日本ではアニメーターに対して「アーティスト」というイメージを持たれていません。アーティストと言えばミュージシャン。
芸術家と言えばゴッホやピカソみたいな絵描きの巨匠。
アニメーターは落書き好きでそれを仕事にしようともがいてる人みたいなところじゃないでしょうか?
なぜでしょう??
アーティストは本来「芸術家」を意味する言葉なので
絵を描いてそれを売っているアニメーターは紛れもなくアーティストなのです。
それなのに同じアーティストであるミュージシャンとのイメージは歴然…。
素人から見て今一リスぺクトが足りていない業種なのではないでしょうか?
しかし、アニメーションを作ることは簡単ではありません。
膨大な知識と経験から鍛え上げた感覚、そして画力とスピード。
いきなり素人にやらせてできるような仕事ではけしてありません!
なのになぜ一般に向けて「私はアーティストです!」とアニメーターが言いづらい世の中なのでしょう。
私の答えは、
アニメーターはセルフプロデュースが下手な人が大半なのです。
これは歴史をたどればアニメーターに限ったことでは無く、今やある程度のリスペクトを勝ち取ったミュージシャンも含め芸術家全般に言えることです。
誰でも知っているモーツアルトは生前稼ぎも良くなく、努力と作品の質に見合った注目も浴びることなく挙句の果てには埋葬された場所すら誰も知らない適当な葬り方をされています。
ゴッホも世界中で有名ですが絵が高額で取引されるようになったのは死後の話です。
芸術家は表現者であり他人に見せて初めて意味を成します。
そして商業科するとなるとその作品を使って人を感動させられるエンターテイナーでなければなりません。
つまり人に喜んでもらってなんぼという非常に他人想いな人の集まりなのです。
それもあってか、自分の立場や扱われ方というビジネスにおいて当たり前の部分をよく考えていない人が大半です。
ビジネスとは消費者の求めるものを作り提供し、交換条件としてその価値に見合ったお金を受け取ることにあります。
それなのに作り与える事ばかりに夢中になってしまい、喜んだ顔を見て満足。
肝心な自身の生活は今一安定しないというのが芸術家あるあるです。
私もアニメーターでありアーティストであるという自覚を持ちながらも、お金の請求となると恐縮してしまうタイプでした。
これはほとんどのアーティストが一度は直面する感情ではないでしょうか。
特に日本人は謙虚であることに異常なまでに美徳を見出す国なので、よりこういった感覚は強いはずです。
しかし、ロスアンジェルスで毎年行われているCTNというアニメーションやイラストレーター向けのイベントに以前行った際、ブルースカイスタジオのアニメーションスーパーバイザーがステージで語っていた内容が私の感覚を変えました。
素人に「ちょっと絵を描いてみせてよ」と言われても気安く描くな。君の描く線にはそれまでに払って来た生活費や学費、そして投資してきた全ての時間がのっているんだ。それを無料で提供するという事は、君の投資してきたお金をタダであげているのと同じだ。それは同業界全ての人の首を締めることとなる。プロとしての自覚を持て!
非常に分かりやすくありがたい言葉でした。
クライアントから安い額で依頼を受けた際に、
「そんな額ではアニメーション作業に値しない。」
とはっきりと思えるようになりました。
そしてそれを貫くことが同志達であるアニメーター全員そして業界全体のためだと思えるようになりました。
しかし来る仕事を安いから断るを繰り返したとしても業界の今ある定価はそう簡単には変わりません。
何が物の価値を決めるのでしょうか?
作業量でしょうか?作品の質でしょうか?
いいえ違います。 クライアントや消費者からのイメージです。
世の中には原価がビックリするほど安いのに異常に高く売られている物はそこら中にあります。コーラなんかは一缶5円くらいですが100円以上で売られています。
もちろんその逆もあり、作業量が大変なのにまったくお金をもらっていない人たちもいます。それは奴隷の人達です。
2017年という今現代ですら命を犠牲にしてまで金を掘らされている奴隷の人たちが存在します。彼らは水銀の混じった泥沼に素足で入り、素手で金の粒を掘っているにも関わらず、報酬は生きるのに最低限必要な食事だけです。死んだらただ捨てられます。
リアルシュガーも使っていないコーンシロップのコーラ缶が健康にも良くないくせに100円で売られているのに、それと同時に命を引き換えに出してさえいても、暴力に震え利用されている人々が共存するのがこの世の中です。
つまり 定価 をあなたのために平等に決めてくれる組織などそもそも存在しないのです。
定価はそこに存在するイメージ、決められた印象でしかないのです。
それを皆が高いと思えば高い、安いと思えば安いで決まってしまうのです。
しかし、逆を言えばその定価を妥当なものにする努力は消費者でも提供者でもできるということでもあります。
ただ、私はその商品を作っている制作者こそが、本当の価値を知っているはずだと思っています。
アニメーションは特に動き出さないと質の違いが判らない商品ですから素人には出来上がるまで検討が付きにくいのです。(イラストと違って静止画での判断ができない)
ここで肝心なのがアニメーター自身による「セルフプロデュース」です。
上で述べた通り、定価はイメージで決まります。そして芸術関係のイメージを左右するはリスペクト(敬意)です。
「自分にはできないことをやってのけている」「欲しいけど作れいないものを提供してくれている」
という敬意がクライアント側にあってこそ初めて妥当な額を請求できるでしょう。
売れっ子芸能人やミュージシャンに企業側がやたらとペコペコするのはそういう事です。
しかしそのリスペクトを生むためには我々自身が優秀な同業者の実力を認めその名前を言及することが大切です。
2011年に設立されたアニメーションスタジオトリガーは初の元請作品として制作した
キルラキルのオープニングでこんな粋な演出をしていました。
これを見たときは私は「なんと素晴らしい試みだろう!」と感動したのを覚えています。
正直言って私はこの瞬間まで すしおさん のことを知りませんでした!(お恥ずかしい)
今までの画面に映るキャラクターにおまけ程度でポツンと表示されていたクレジットとは見せ方の本気度が違います。
このようにアーティスト個人の重要性をハッキリと表示することで華も持たせられますし、なにより「アニメーションは人の手を通して作られている」という印象を消費者に持ってもらうことができます。
この演出一つあるかないかだけで見た人のイメージ(印象)は大きく変わるものです。
つまりこういった演出がクライアントからのイメージを変え、それがプロダクトの価値に変化していくわけです。
もちろんこれはキルラキルという作品の各部署の監督クラスの方々の名前だけなので、新人アニメーターの給料に直接関係があるわではありません。
しかしイメージ向上が業界全体の価値につながっていくことは間違いないのです。
これはミュージシャンにおいてのプロモーションビデオと同じ考え方です。
そして同業界の中堅レベルまでがある程度の注目を受け、価値が上がれば報酬を貰える角度も増えるでしょう。そうなると業界全体の競争率は加速し、新人でさえもある一定以上の実力が無ければアニメーターとして雇ってもらえなくなることが理想的です。
今は雇用状態も望ましくなく人の出入りが激しいために人手不足、スタジオによっては絵が下手でもとりあえず働けてしまうような状態だと聞いています。
つまりは業界全体を通してブランドイメージを付けていくことで認められるべき価値を見出すということが唯一の突破口ではないかと思っているのです。
この理論で進めていくと恐らくアニメの製作費は確実に上がり、年の制作本数は確実に今より減るでしょう。しかし、質は同時に上がります。もしそれがアニメ制作サイドの妥当な報酬に必然なのであれば、それがあるべくしてある状況なのではないでしょうか。
日本のアニメは国外でとても大きな支持を得ています。
私と同年齢の30代前半の韓国人の友人たちでさえ「ヨーヘー!グランゾートって知ってるかい!?自分は日本の漫画とかアニメは見ちゃダメだと教えられていたけど子供の頃夢中になってこっそり見てたんだ!」と言われたことがありました。
グランゾートは自分も子供の頃に見ていたアニメでした。当時今以上に仲の悪かった韓国と日本の国境を越えて日本のアニメが韓国の子供たちに偏見無しに楽しまれていたことを知った時これ以上無いほどの感動を覚えました。
お陰でその友人だけでなく多くの韓国人の子供たちが日本人に対して良いイメージも持ってくれていたのです。
アメリカにもアニメがきっかけで日本が大好きになり、結果日本旅行に行っている人たちが沢山います。
アニメはエンターテイメントであるが故に、政治家には真似のできない勢いで国境を越えていきます。
そして日本国自体のリスペクトを産んでいるんです。
こんな仕事をやってのけて、その歴史を支えているプロの仕事人達が日本国内の世間から妥当な支持を得られず、満足な給料をもらえないなんてことはおかしいのです。
アニメーター自身が「自分なんて」と思って安い給料に留まりセルフプロデュースを行わないのはもっと大きな問題なのです。
物の定価を決めるのが人々の持つイメージなのなら、そのイメージを我々制作者がまず変えていきましょう。
時間はかかるし、それを良く思わない人もいるでしょう。
それでも、日本のアニメーション制作者はより妥当な報酬と労働環境を得るに値する存在であることは変わりなく、その自信と自覚を持つに相応しい職業だと私は思っています。
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