幸運が不幸となることもあります
以前に幸運と幸福は違うという話をしたことがあります
一見すると、周りの人からは幸運と思える出来事が訪れても、それによって不幸になることもあるのです
たとえば、学生さんであれば、良い学校に受かりたいと思って一生懸命勉強していたとします
幸運にも、目指していた学校に合格することが出来ました
しかし、その学校では優秀な生徒が集まっていて、ようやく入れたのにもかかわらず、成績が落ちてしまい、それで苦しみを生むこともあるでしょう
あるいは、学校を卒業して、希望の就職先に幸運にも入れたとしても、そこでは出世競争が激しくて、苦しみのもとになることもあるでしょう
または、幸運にも出世したとしても、今度は自分一人の力ではなくて、部下を使って仕事をしなくてはならず、人間関係のストレスで苦しむ人もいます
会社で落ちこぼれないように必死になって頑張っていると、家庭のことに手が回らなかったことから、夫婦の間が不和になったり、子供が愛情不足で反抗的になってしまうかもしれません
あこがれの異性と付き合えるようになっても、その人はモテるため、別な人と浮気を繰り返して苦しみを生むかもしれません
結婚するという幸せな出来事であっても、二人の生活や将来のプレッシャーなどから、ストレスで逃げ出す人もいます
お笑いタレントの又吉直樹さんが書かれた小説の「火花」は芥川賞を受賞して大ヒットとなり、たいへん幸運なことだと思います
栄誉な事でもあり、喜ばしいことですが、同時に、次の作品を描かなくてはならないといプレッシャーも、どんどん強くなってたいへんだろうと思います
小説家を目指す人であれば、芥川賞をいただけることは夢のような出来事でしょう
取りたいという願いが叶って幸運だと思えても、次の作品も期待されるプレッシャーもあるでしょうし、それだけで有頂天になってしまっていては、すぐに消えていってしまうこともあるでしょう
そのように、はた目からは幸運な出来事に見えたとしても、その人の能力を超えていた場合に、不幸のもとになることがあるのです
ひとは大きな欲をもって、それが叶えられることを願いますが、自分の実力と努力の積み重ね以上のものを望んでいると、それが苦しみのもと、不幸のもととなってしまいます
自分の器の範囲内で、努力に応じた分だけ頂けるように願うのが、本人にとっては幸せであるかもしれません
上記の話しとは逆に、不運に思えることも、実は将来の幸せにつながることもあります
偉人や成功者など、数々の業績を打ち立てた人の人生を聞いてみると、若いころに苦労をしたり、不運と思える出来事に遭遇しています
そうした不運と見える出来事であっても、それを糧として、あるいは克服して、成功をおさめていっています
不運は次の幸せの種になり、幸運は転落のつまずきの石になることがあります
どのような出来事が訪れても、その人の心の持ち方によって、未来への扉は違ってくるのです
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